地獄編 --- (最初の証し) --- (ルカによる福音書16章19-25節)ある金持ちがいた。いつも紫の衣や細布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。ところが、その門前にラザロという全身おできの貧しい人が寝ていて、金持ちの食卓から落ちる物で腹を満たしたいと思っていた。犬もやって来ては、彼のおできをなめていた。さて、この貧しい人は死んで、御使いたちによってアブラハムのふところに連れて行かれた。金持ちも死んで葬られた。その金持ちは、ハデスで苦しみながら目を上げると、アブラハムが、はるかかなたに見えた。しかも、そのふところにラザロが見えた。彼は叫んで言った。『父アブラハムさま。私をあわれんでください。ラザロが指先を水に浸して私の舌を冷やすように、ラザロをよこしてください。私はこの炎の中で、苦しくてたまりません。』 アブラハムは言った。『子よ。思い出してみなさい。おまえは生きている間、良い物を受け、ラザロは生きている間、悪い物を受けていました。しかし、今ここで彼は慰められ、おまえは苦しみもだえているのです。 神の御言葉である聖書は天国と地獄についてはっきりと述べています。今読んだ箇所で主はふたつの場所について語っておられます。 天国と地獄、つまり罪の裁きか救いの道です。中間はありません。カトリック教徒が信じる煉獄はありません。人間が死んだら天国に行く前に煉獄にいるわけがないのです。聖書にはっきりそう記されています。
【1995年4月11日】
この経験は午前10時ごろに始まりました。その日のピクニックの準備を整えた後、みんなで祈り始めて10時ごろになると、突然に窓から強く白い光が出現しました、この光が現れたとたん、私たちは異言を語り始めて聖霊のバプテスマを受けました。 私たちはその時の出来事に驚き、また魅了されてしまいました。その栄光に満ちた光は部屋中を照らしていました。 太陽光より数倍も強い光でした。その光の中に白い衣を着た多数の御使いたちがいました。その御使いたちはあまりにも美しく、背が高く、とても神々しいものでした。 御使いたちの間に実に驚くばかりの姿が見えました。それはある男性の姿でした。彼は特別な存在であり、白いマントと衣を着ていました。彼の髪は黄金の糸のようでした。彼の顔は強く輝いていたのでよく見ることができませんでした。そして「王の王、主の主」と彫刻された金の帯を胸に締め、純金のサンダルを履いていました。彼は誰にも比較できないほど美しい人でした。その人物を見たとたん、私たちは皆ひざまずきました。 それから彼の声が聞こえてきました。素晴らしい特別な声でした。ひとつひとつの言葉が両刃の剣のように私たちの心に入り込んで来ました。ヘブル書4章12節に書いてあるとおりでした。彼はシンプルでありながら強力な言葉を語られました。彼ははっきりと私たちにこう言われました:「私の小さな子供たちよ、恐れることはありません。私はナザレのイエスです。私はあなた方にひとつの奥義をみせるために来ました。あなた方はその奥義をあらゆる街に、あらゆる国に、あらゆる都市に、あらゆる教会に伝えて欲しいのです。私が行くようにと言う場所にあなた方は行くのです。そして、行かないようにと言う所には行かないのです。」 神の御言葉であるヨエル書2章28節は言います。:「その後、わたしは、わたしの霊をすべての人に注ぐ。 あなたがたの息子や娘は預言し、年寄りは夢を見、若い男は幻を見る。」神様がすべての人のために準備された時代は今です。 そして、不思議な事が起こりました。部屋の真ん中に岩が現れました。その岩に上るようにと主は私たちに言われました。岩は床から20センチほどの高さがありました。突然、床に大きな穴が現れました。黒く恐ろしい空洞あるいは洞窟でした。早速、私たちは岩の一番高い所に上ってから空洞に入って行きました。私たちは地球の真ん中へと導かれました。 私たちは暗闇の中で恐怖におびえてしまいました!あまりにも恐かったため、私たちはイエス様に「主よ、その場所には行きたくありません!私たちをここから出してください!」とお願いしました。 主は情け深い美しい声で答えられました。「この経験は必要です。これから見るものを他の人に伝えなければなりません。」 角(つの)の形をしたトンネルには、動く影、悪鬼たち、あちらこちらと動く異様なものを見かけました。私たちはどんどん奥へと入って行きました。突然、私たちに空虚さと大きな恐怖感がやって来ました。 私たちはある洞窟に着きました。そこには、迷路のような恐ろしいドアが数多くならんでいました。私たちはその中に入りたくありませんでした。その場所の強い悪臭と高温に窒息しそうな気がしました。その中に入って行くと恐ろしいもの、とても恐ろしいものが見えました。その場所全体が炎に包まれていました。しかも炎の中には何千もの人々が焼かれていました。その人たちは激しい苦痛で苦しんでいました。あまりにも恐ろしい光景だったため、誰もとても見てはおれませんでした。 その場所は苦痛によって区分されていました。主が見せられた一つの部分は「大釜の谷」と言います。そこには無数の大きな釜が地面にはめ込まれ、各々の釜の中に溶岩が燃えていました。そして各々の釜の中には地獄に落ちた死人がいました。 そこにいる人たちは皆、主を見かけるとこのように叫び始めました、「主よ、私を憐れんでください!主よ、ここから逃れる機会を与えてください!おお主よ、私をここから救い出して下されば、この場所が本当に存在すると必ず世界中に伝えます!」 しかし、主は彼らの顔を見ようともされませんでした。その場所には無数の男性、女性、若者がいました。すごく苦しんでいる同性愛者とか大酒飲みの人も見かけました。その人たちは激しい苦痛の中で叫んでいました。 彼らの体の破壊のし方を見るのは衝撃的な経験でした。彼らの眼窩や口や耳にはたくさんのうじ虫が動き回り、体中の皮膚から出入りしていました。聖書のイザヤ書66章24節に書いてある通りでした。「彼らは出て行って、わたしにそむいた者たちのしかばねを見る。そのうじは死なず、その火も消えず、それはすべての人に、忌みきらわれる。」マルコ9章48節より「地獄では、うじがつきず、火も消えることがない。」 私たちは目の前でそれを見て恐ろしくなりました。炎は3~4メートルぐらいの高さまでありでした。各々の炎の中に地獄に落ちた人間が燃えていました。
主はある釜の中にいる男性を私たちに見せられました。彼の顔の肉はばらばらと落ちていました。彼は一心に主を見つめていました。そして、いきなりイエスの名を大声で叫び始めた。「主よ、私を憐れんでください! 主よ、もう一度だけチャンスをください!私をここから出してください!」と彼は懇願しましたが、主イエスは彼の顔を見ることもされませんでした。イエス様は彼に背を向けられただけでした。すると、その男性は主をののしり始めました。その人の名はジョン・レノン、「ザ・ビートルズ」という悪魔崇拝ミュージックバンドの一員でした。ジョン・レノンは生涯、主イエスを軽蔑し嘲笑していました。キリスト教は消滅し、イエス・キリストは忘れ去られると彼は宣言していました。しかし、今、彼は地獄におり、イエス様は生きておられるます! しかもキリスト教は消滅してはいません。 そこには、信仰の後退した人たちもいました。彼らの苦しみは他の誰よりも千倍も酷いものでした。彼らは主に向かって大声で憐れみを乞い求めていました。しかし、ヘブル書10章26-27節の御言葉はこう言っています。「もし私たちが、真理の知識を受けて後、ことさらに罪を犯し続けるならば、罪のためのいけにえは、もはや残されていません。ただ、さばきと、逆らう人たちを焼き尽くす激しい火とを、恐れながら待つよりほかはないのです。」 彼らは教会では説教をし、断食をし、手を上げて賛美を歌っていたのですが、町の通りや家では姦淫、不品行、偽り、盗みなどの罪を犯していました。神様を偽ることはできません。多く与えられた者は多く求められ、多く任された者は多く要求されるのです。(ルカ12章48節) 地上ではクリスチャンだった二人の女性を見るのを主は許されました。二人はクリスチャンでしたが主の御前で義しい生活を送りませんでした。一方が相手に言いました。「この恥知らずでろくでなしめ!あんたのせいであたしゃここにいるんだ!どうしてあたしに聖なる福音を教えてくれなかったんだ!どうして真理を教えてくれなかったのさ!あんたのせいで、今あたしゃ地獄にいるんだよ!」と彼女たちは炎のただ中で言い争いをしました。彼らは互いに憎み合っていました。地獄には博愛、憐れみ、赦しは存在しないのです。 神の言葉を知っていながら、主の聖なる臨在の前で清い生き方をしなかった何千もの魂たちが地獄にいました。「神と地獄の火をもてあそんではいけません。」と主は言われました。また、言われました。「私の息子たちよ、地上の最悪の苦しみでも地獄の最も軽い苦しみとは比べ物になりません。」 地獄の最も軽い苦悩でも恐るべきものですが、地獄の中心部にいる人々の苦悩はどんなに酷いものでしょう。彼らは主の御言葉を知っていながら、それから道を外した人たちです。また、地上の火をもてあそぶことはできても、地獄の火をもてあそぶことはできないと主は言われました。 私たちはいろんな所を歩きながら、主から色々の人を見せられました。私たちはおよそ6種類の拷問を見ました。また、悪鬼たちからいろんな種類の刑罰によって苦しめられるたくさんの人々も見ました。もう一つの恐るべき刑罰は「神の福音が宣べ伝えられていたことを思い出せ。神の言葉を聞いた時のことを思い出せ。地獄について聞いたとき、あざ笑ったことを思い出せ。」と言って自分を責める良心です。彼らの良心が、体を這いずり回るうじ虫のように、また、私たちが知っている火よりも何千、何万倍もの熱い焼き尽くす火と同じように彼らを苦しめました。それが悪魔(サタン)を追い求め、従う人々に対する悪魔からの報酬なのです。 主の言葉は言います。黙示録21章8節より:「おくびょう者、不信仰の者、憎むべき者、人を殺す者、不品行の者、魔術を行なう者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者どもの受ける分は、火と硫黄との燃える池の中にある。これが第二の死である。」 その後、主は6人を殺害した男性を示されました。6人の被害者が彼を取り囲んで男に向かって言いました。「お前のせいで俺たちはここにいるんだ。お前のためにだ!」 人殺しはそれが聞きたくないので耳を塞ぎますが、地獄では人間の感覚が鋭くなるために被害者たちの声から逃れることはできませんでした。 そこにいる人々は、聖書にあるラザロと金持ちの話し(ルカ16章19節)のように、耐えられないほどの水への渇きで苦しんでいました。地獄にいる金持ちは水が一滴でもあれば、苦しみを和らげることができたのです。イザヤ書34章9節ではこう言っています。:「エドムの川はピッチに、その土は硫黄に変わり、その地は燃えるピッチになる。」 地獄ではみんなが火の中にいます。人々は火の中で水晶のように光る川の幻影を見ました。彼らが川に行こうとすると、川が火に変わりました。また、水分たっぷりの果樹が見えました。しかし、手を伸ばすとそれが手を焼きました。そこで、悪鬼たちが彼らをあざ笑いました。 それから、神様は私たちをこれまで見たものよりは更に恐ろしい場所へ連れて行かれました。私たちは硫黄の燃える火の池を見ました。火の池の近くにはより小さな火の池がありました。小さな池には、泣き叫んで主の憐れみを懇願する何百万、何千万人という人々がいました。彼らは言いました。「主よ、お願いです! ちょっとだけでいいですから、ここから出してください! お願いです、ここから出るチャンスを与えてください!!!」しかし、主は彼らに何もして上げることはできませんでした。彼らの裁きは既に決定していたからです。 何百万、何千万人という人々の中から、主イエスは火の池に溺れそうになっている男性を示されました。主は私たちに彼の考えを聞かせて下さいました。彼の名はマルコ。マルコが頭の中で自分に言っていたことに私たちは驚きました。男の考えを聞くことによって私たちは重大な教訓を受けました。「お前の場所にいるためなら俺はなんでもする! 1分だけ地上に戻れるなら俺は何でもする。世界一不幸な者になっても、世界一病弱な者になっても、世界一嫌われ者、世界一の貧乏人になってもかまわない!地上に戻るためなら何でもする!地上に1分だけ。」主イエスは私の手を握っておられました。イエス様はマルコの考えに答えて言われました。「マルコ、何のために1分だけでも地上に戻りたいのかね?」苦痛に満ちた泣き声でマルコはイエス様に言いました。「主よ!自分の罪を悔い改めて、救われるために、ただの1分だけでも地上に戻れるなら、私は何でやります。」 マルコがそう言うと、主イエスの傷口から血が出るのが見えました。イエス様は涙を浮かべて言われました。「マルコ、もう手遅れだ!あなたの下にはうじが敷かれ、虫けらがあなたのおおいとなる」(イザヤ書14章11節)と答えられると、マルコは永久に火の池に沈みました。残念ながら、地獄にいる魂には希望がありません。地上にいる人たちにだけ、今日、悔い改めることによって天国で主イエスと共にあるチャンスがあるのです。 これからは、ルーペ姉妹が続けます。ありがとうございました。
--- (2番目の証し:ルーペ) --- 愛する皆さん、神の祝福がありますように。詩篇18篇9節の御言葉を読みましょう。「主は、天を押し曲げて降りて来られた。暗やみをその足の下にして。」 主が私の方に手を伸ばされたので、私は彼の手を握りました。すると、私たちは洞窟のトンネルを下り始めました。トンネルはだんだん暗くなり、イエス様の手を握っていない方の手が見えないほどに暗くなりました。 突然、 私たちは騒音のする暗くて光を発するものを通過しました。あまりにも暗いのでトンネルの壁に手で触ることができないほどでした。私たちの下降するスピードがあまりにも速いので、私の魂が体から離れるのではないかと思いました。 すぐに強い悪臭に気づきました。腐った肉のような臭いがだんだん強くなってきました。その時、何百万、何千万という人々の声が聞こえてきました。彼らは絶えず叫び、泣き、呻(うめ)いていました。私はとても恐くなって、主に言いました。「主よ、私をどこに連れて行かれるのですか? 主よ、私を憐れんでください!どうか私を憐れんでください!」 主はただこう言われました。「あなたはこれを見なければなりません。全ての人にこれを伝えるためです。」 私たちは角の形をしたトンネルを下り続けて、遂に真っ暗な所に着きました。その時、まるで私の目から重いカーテンが開いたように、無数の炎が見えてきました。さらに、無数の人々の苦しみの叫び声が聞こえて来ましたが、姿を見ることができませんでした。私は実際にすごく怯えていました。私は主に言いました。「おお、主よ、私を憐れんでください!憐れんでください!私をその場所へ連れて行かないでください!どうかお赦しください!」 私は自分が地獄の目撃者だとは思わず、審判の日だと思い込んでいました。本当に私の人生の終わりの日だと思って主イエスの御前で激しく震えていました。 私たちは前方の大きな炎の方に向かって行きました。それは巨大な燃え上がる炎でした。私はゆっくりと下り続けました。無数の炎が見え、何百万もの魂たちの泣き声がいっせいに聞こえて来ました。 その後、火で焼き尽くされない木製のテーブルが見えました。テーブルの上には何本かのビール瓶のようなものがありました。清涼そうに見えましたが、ボトルの中には火が満ちていました。私がそれを見ていると、突然、一人の男性が現れました。彼の肉は既にほぼ完全にくずれ落ち、残った衣の断片は泥だらけになって燃えていました。彼は火によって眼球や口や髪の毛はなくなっていました。眼球はなくても彼は私を見ることができました。よろしいでしょうか。考え、論じ、見ているのは、実は肉体ではなく人の魂なのです。 彼は痩せこけた手を主の方に伸ばして叫び始めて、言いました。「主よ、私を憐れんでください!主よ、私を憐れんでください!私は痛いです。燃えています!私を憐れんでここから出してください!」主が慈悲深く彼を見つめられると、私は手に温かいものを感じました。手を見ると血でした!主の血でした!主が炎に燃えている男性を見つめられると、手から出血し始めたのです。 すると、男性はテーブルの方を見てボトルの方に歩み寄りました。彼がボトルを掴んで飲もうとすると、ボトルの中から火と煙が噴き出しました。男性は顔を後ろに向けて、私が今まで聞いたこともない激しい叫び声を上げました。苦痛と悲しみの叫び声を上げた男性はボトルの中身を飲み始めました。ボトルの中身は酸でいっぱいになっていました。それが男性の喉を完全に破壊しました。酸が彼の胃袋を通過して痛めるのが見えました。 男性の額には666という数字が彫ってありました。胸には、うじ虫や高温にも壊れない金属板がありました。それには私たちには読めない文字が彫ってありました。主は憐れみ深く金属板の文字を理解させて下さいました。:「私は酒のみだからここにいる。」と。彼は主の憐れみを懇願しましたが、神の御言葉は第1コリント6章10節にはっきりと告げています。:「盗む者、貪欲な者、酒に酔う者、そしる者、略奪する者はみな、神の国を相続することができません。」 主は地上にいた時の男性の最後の瞬間を映画のように私に見せて下さいました。彼の死ぬ前の数秒間を大きなテレビの画面で見る感じでした。彼の名はルイースで、彼は居酒屋で酒を飲んでいました。地獄で見たテーブルとボトルがその居酒屋にありました。そのテーブルにはルイースの友人たちがいました。(私は君にこれを保証します。 私たちにはたった一人の本当の友人がいる。その名はイエス・キリストです。彼は忠実な友です。)酔っ払ったルイースは友人たちと一緒に飲んでいました。ある親友が手に取ったボトルを割ってから、ルイースを突き刺し始めました。彼が床に倒れたのを見ると、親友はそこから逃げ去りました。ルイースは出血多量で死にました。とても悲しいことに、ルイースは主イエスを受け入れずに死んでしまいました。 無数の魂たちの叫び声を聞きながら、私は主にこんな質問をしました。「おお主よ、どうかお答えください。この男性はあなたを知っていたのですか? 彼は主の御救いについて聞いたことがあったのですか?」 主イエスは悲しい顔でこう答えられました:「はい、ルーペよ、彼は私を知っていました。ルイースは私を個人的な救い主として受け入れていたのです。しかし、彼は私に仕えませんでした。」 私は更に恐ろしくなりました。彼はさらに大声を出して叫びました。「主よ、辛(つら)いです!辛いです!どうか私を憐れんでください!」 彼はもう一度主の方に手を伸ばしましたが、イエス様はかわりに私の手を握られ、私たちは火から離れて歩き始めました。ルイースを焼き尽くす火は更に強くなりました。彼が「私を憐れんでください!私を憐れんでください!」と大声で懇願しましたが、彼は火の中に見えなくなりました。 私たちは歩き続けました。そこは巨大な恐ろしい場所でした!私たちはもうひとつの炎に近付きました。その時、私は主にお願いしました。「主よ、嫌ですわ!もうこれ以上見たくありません!どうかお赦しください!これを見たくありません!」そして私は目を閉じましたが無駄でした。目を開いても閉じても見えました。炎がだんだん弱くなり、その中に一人の女性の姿が見えました。彼女は泥にまみれていました。そして、うじだらけの泥が彼女のうすい髪の毛にまつわり付いていました。その女性の体全体がうじに食われています。「主よ、私を憐れんでください!どうか私を赦してください!私を見てください。痛いです!どうかこのたくさんのうじを取り除けてください!痛過ぎます。この苦しみから私を逃してください!」と彼女は大声で懇願し始めました。主はただ悲しい表情で彼女を見詰めておられました。私たちが主の手を握ると、永久に地獄の炎で焼かれる失われた魂たちへの主イエスの心の痛みと悲しみを感じることができました。 彼女は目玉と唇がありませんでした。それでも、彼女は見ることや感じることが出来ました。しかも魂の感覚はより鋭くなっていたため、苦痛をより強く感じました。彼女は酸の入ったボトルを手に持っていました。それが香水だと思い込んでいました。明らかに酸であるものを彼女が体に吹き付けるものですから、肌が焼けました。それでも、彼女はそれを何度も体に吹き付けました。そして、それは高価な香水ですと言い続けました。首には美しいネックレスがあると彼女は思っていましたが、実は彼女の首にはたくさんの蛇が巻き付いていました。彼女は高価なブレスレットを付けていると思い込んでいました。しかし、それは30センチぐらいはあるうじ虫でした。それが彼女の骨にひどく食い進んでいました。この宝石はみんな自分の宝物だと女性は言いましたが、私が見ると、それはサソリやうじ虫が彼女の体中を這い回っているのでした。彼女にも、地獄ではだれもが付けている金属板がありました。それには「私は盗人だからここにいる。」とありました。 その女性には自分の罪に対する自責の念はありませんでした。「マダレーナ、君は何故ここにいるのかね?」と主は彼女に問いかけられました。「他人から盗むのは気になりませんでした。私の関心はただ自分の宝石を持つことと高価な香水をもっとたくさん手に入れることでした。綺麗になるためなら、どんな人からでも盗みました。」とマダレーナは答えました。 彼女の体から出入りするうじを見て、私は主の手を握り締めました。マダレーナは何かを探していました。私は主に尋ねました。「主よ、この人はあなたを知っていたのですか?」 主は答えられました。「はい、この人は私を知っていました。」 マッダレーナは辺りを見回して言いました。「主よ、私にあなたのことを語った女性はどこにいますか? 彼女はどこですか?私は15年間地獄にいるのですが。」とマダレーナは主に問いかけました。地獄にいる人たちは何でも覚えています。マダレーナは尋ね続けます。「あの女性はどこですか? 彼女の姿が見えませんが。」 私はマダレーナの体は一ヶ所に固定されていて、向きを変えることが出来ないことに気がつきました。彼女はほかの炎の中に神様のことを語った女性を探そうとしていました。主は言われました。「いいや、いや、彼女はここにいないよ。私のことを語った女性は、私と一緒に天の王国にいるよ。」 それを聞いたマダレーナは自らを炎の中に投げ込んで、なおいっそうひどく燃え始めました。金属板によると彼女は盗人でした。イザヤ書3章24節にある神の御言葉を見てみましょう。: 「こうして、良いかおりは腐ったにおいとなり、帯は荒なわ、結い上げた髪ははげ頭、晴れ着は荒布の腰巻きとなる。その美しさは焼け傷となる。」 主と一緒に歩き続けていると、私はうじがいっぱいたかった大きな柱を見かけました。そのまわりに赤熱した坂がありました。柱にはどこからでも見える明るく照らされた掲示板がありました。掲示板には「ようこそ、全て嘘つきと陰口をたたく人たちよ。」とありました。坂の終わりには沸騰する小さな池がありました。燃える硫黄のようでした。その時、全裸の人たちが坂を下るのが見えました。彼らが滑ると皮膚がむけて坂にこびりつきました。その人たちが沸騰する池に落ちると、彼らの舌が大きくふくらんで破裂しました。そして、舌があった所にうじが現れました。それが彼らの拷問の始まりでした。詩篇73章18-19節の御言葉はこう言っています。「まことに、あなたは彼らをすべりやすい所に置き、彼らを滅びに突き落とされます。まことに、彼らは、瞬く間に滅ぼされ、突然の恐怖で滅ぼし尽くされましょう。」 それを見た後、私たちは地獄から戻されました。皆さんに申し上げます。天国と地獄は私たちが知っているこの世界よりももっと現実的です。どちらに行くかを決めるのはあなたです。イエス様と一緒に永遠に過ごすか、燃える地獄に行くかです。主イエス様は私たちにこう語り続けておられます。 「聖くなければ、だれも主を見ることができません。聖くなければ、だれも主を見ることができません。」(ヘブル書12章14節)ですから、私もあなたに同じことを言います。「聖くなければ、だれも主を見ることができません。」
--- (3番目の証し:サンドラ) --- マタイ10章28節の主の御言葉を読みましょう。「からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。」 人が地獄に着くとみな死の体を受けます。主イエス様は私の手を取り、地球の中心部へ導く真っ暗なトンネルを下り始めました。数々のドアが並んでいる場所に到着しました。あるドアが開いて、私たちは主と一緒に中に入りました。私はずっと主の手を握っていました。そうしなければ、永遠に地獄に残されてしまうことがわかっていたからです。 ドアを通ると、巨大な壁がありました。無数の人がフックで頭から吊るされ、手枷が壁から掛けられていました。また、至る所に無数の人たちが炎の中で焼かれていました。 或る炎のところへ行くと、その炎がだんだん弱まってきました。間もなく炎の中に一人の男性の姿が見えてきました。彼はぼろぼろになった汚い聖職者の衣服を着ていました。たくさんのうじがその男性の体中を出入りしていました。彼は火で黒焦げになっていました。眼球はくり抜かれ、肉は溶けて落ちていました。ところが、肉が完全に溶けて落ちてしまっても、男性の体は元に戻り、同じことを繰り返すのでした。 主イエスを見ると、男性は「主よ、私を憐れんでください!憐れんでください!一瞬だけでもいいですから、私をここから出してください!一分だけです!」 と叫び始めました。男性の胸には「私は盗人だからここにいる」と彫った金属板がかかっていました。 「君の名前は?」とイエスは彼に問いかけられました。「アンドレです。」と彼は答えました。主は「どのぐらいここにいるのかね。」と問いかけられると、アンドレは「ずいぶん長い間です。」と答えました。それからアンドレは自分について語り始めました。彼はカトリック教会で十分の一を集めることと貧しい人を助ける責任者でした。しかし、彼は貧しい人を助けるための献金を盗んでいたのです。慈悲深い目で主は「アンドレ、君は福音を聞いたことがあるかね?」と尋ねられました。アンドレは答えました。「はい。ある日、一人のクリスチャンの女性が私の教会にやってきて私に福音を説きましたが、信じたくありませんでした。しかし、今は信じます!現実だと信じます! 主よ、お願いですからどうか私をここから出してください!ちょっとだけでもかまいません!」 アンドレが話している時、うじ虫が眼窩から入って耳から出て来てから、再び口の中に入りました。彼がどんなに手でうじ虫を取り除けようとしても駄目でした。恐ろしい叫び声でアンドレは主の憐れみを請い求めました。その場所から逃がれられるようにとイエス様に懇願し続けました。さらに悪いことに、悪鬼たちがいて、彼らが絶えず槍でアンドレを刺して拷問を加えていました。その悪鬼たちは「ジョルダーノス」という地上の人形にそっくりでした。地獄にいる人形は可愛いものではなく、凶暴な姿をして生きていました。地上の人形に似た悪鬼たちは身長90センチぐらいで、するどい歯を持っていました。彼らの口は人間の血を垂らして真っ赤な目をしていました。
その悪鬼たちはアンドレやその辺りにいる人間たちを全力で突き刺し続けていました。その風景を見た私は、「何故地上にあるおもちゃの人形がこんな地獄の悪鬼にそっくりなのですか?」と主イエス様に聞いてみました。あれは悲哀の霊です、と主は答えられました。 私たちは歩き続けました。そして、激しく苦しんでいる何千という人々を見かけました。彼らは主イエス様を見かけると、やせっぽちの手を主の方に指し伸ばしました。その中にイエス様を見かけると大声で叫び始めた女性がいました。「主よ、どうか私を憐れんでください! この場所から私を出してください!」 彼女はとても苦しんでいました。そして、主の方に手をさし伸ばしました。一瞬だけでも地獄から出してもらうように彼女は懇願し続けました。その女性は全裸で泥まみれでした。たくさんのうじが彼女の汚い髪の毛や体中を這い回っていました。うじを手で取り除いても、その何倍ものうじ虫が現れました。長さ13-17センチぐらいのうじ虫でした。マルコ9章48節に書いてある神の御言葉の言うとおりでした。「そこでは、彼らを食ううじは、尽きることがなく、火は消えることがありません。」 貪欲なうじに食われている彼女の泣き叫ぶ姿は見るも恐ろしい光景でした。彼女の胸にある、火でも壊れない金属板には「私は姦淫したからここにいる。」と書いてありました。彼女の罪と同様、地獄でも姦淫をさせられました。彼女は気味の悪い太い蛇にレイプされていました。その蛇は体の回りにトゲがあって、長さは13-17センチぐらいでした。その蛇が彼女のデリケート・ゾーンを突き抜けて喉にまで達し、彼女の体中を駆け抜けていました。蛇が中に入ると彼女は叫び始めました。 その場所から出してもらうために、彼女は更に激しく懇願しました。「主よ、私は姦淫の罪でここにいます。7年前エイズで死にました。6人の愛人がいました。だから私は姦淫の罪でここにいます。」 彼女は地獄でも自分の罪を繰り返さなければなりませんでした。昼も夜も休むことなく苦しみ続けました。彼女は主の方に手を伸ばしましたが、主はただ次のように言われただけでした。:「ブランカ、もう手遅れだ。あなたの下にはうじが敷かれ、虫けらがあなたのおおいとなる。」(イザヤ書14章11節)主がこう言われると、強い炎が彼女を包み込んで、彼女は見えなくなりました。
私たちは何千、何万という人々を目にしながら歩き続けました。そこでは若者や大人や老人が苦しんでいました。すると、何千人もの男性と女性が入っている大きな火のプールにやって来ました。各自の胸には「私は十分の一と奉納物を捧げなかったからここにいる。」と書いた金属板がありました。それを読んで私は主に尋ねました。「主よ、その理由で人がここにいることがあり得るのですか?」主は答えられました。「はい、私の言葉によれば、命令であるのに、彼らは十分の一と奉納物を大切なこととは思わなかったのです。」 マラキ書3章8-9節はこう言っています。:「人は神のものを盗むことができようか。ところが、あなたがたはわたしのものを盗んでいる。しかも、あなたがたは言う。『どのようにして、私たちはあなたのものを盗んだでしょうか。』それは、十分の一と奉納物によってである。あなたがたはのろいを受けている。あなたがたは、わたしのものを盗んでいる。この民全体が盗んでいる。」 その人たちが十分の一を捧げなかったため、神の御わざが妨げられて福音が宣べ伝えられなかったと主は言われました。そこにいる人たちは神の御言葉を知っていました。それなのに、従わなかったため、他のだれよりも一千倍も激しく苦しんでいました。 私たちは歩き続けました。そして、主は私に一人の男性を示されました。その男性は腰から頭までしか見えませんでした。すると、彼の死んだ時のビジョンが見え始めました。彼の名はロジェーリオ。彼が車に乗っていると、ある人が彼に福音を伝えるために車に近づいて来て彼に聖書を渡しました。しかし、ロジェーリオはその人の警告を無視して運転し続け、数分後に自動車事故で絶壁から落下して即死したのでした。 車が墜落したとき、聖書の黙示録21章8節が開きました。:「しかし、おくびょう者、不信仰の者、憎むべき者、人を殺す者、不品行の者、魔術を行なう者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者どもの受ける分は、火と硫黄との燃える池の中にある。これが第二の死である。」ロジェーリオがそれを読んだとき、既に死んで地獄に着いていました。 彼は地獄に来てから1ヶ月しか経っていませんでしたから、顔の肉はまだ少し残っていました。しかし、ロジェーリオは誰よりもひどく苦しんでいました。最初、彼は自分がなぜ地獄にいるのか分かりませんでした。あのクリスチャンが彼の車に近づいた時は、彼にとって主イエスを救い主として受け入れる最後のチャンスだったのです。同様に、たくさんの人にも主イエスを受け入れる機会があったのです。今日、イエス様に心を開いて下さるようお勧めします。イエス様だけが道であり、真理であり、いのちなのです(ヨハネ14章6節)。 彼を通してのみ私たちは天の王国へと救われ得るのです。(使徒行伝4章12節)。 主はまた私たちに聖と義の道に従って歩むことを求めておられます。神の祝福がありますように。
--- (4番目の証し) --- 兄弟たち、神の祝福がありますように。主が私の手を取られたとき、私は岩の上にいました。そして、私たちの後ろには一人の御使いの姿が見えました。すると、洞窟のトンネルを通って私たちは信じがたい速さで下りはじめました。あの御使いがいなくなったことに気づくと、私は恐くなりました。「主よ、あの御使いはどこに行ったのですか? 何故ここにいないのですか?」 と私は主に尋ねました。主は言われました。「これから私たちが行く所に彼は行くことができないのです。」 私たちはエレベーターのようにどんどん下って行ってから、突然ストップしました。そこにはいくつかのトンネルがあって、サンドラ姉妹が語られたあのトンネルを通って行きました。そこには手枷をかけられたたくさんの人がフックで頭から吊るされていました。人々が吊された壁は果てしなく長いように見えました。何百万もの人々が壁に掛けられていました。彼らの体はうじ虫だらけでした。前方を見ると、全く同じ様なもうひとつの壁が見えました。私は主に言いました。「主よ!この場所にはとても多くの人がいます!」 その瞬間、私の頭の中に聖書のある言葉が浮かびましたが、どこからの引用かわかりませんでした。そのとき、主は私に言われました。:「よみと滅びの淵は飽くことがなく、」(箴言27章20節) 私たちはそこを離れてからすぐに 「大釜の谷」と呼ばれる所に着きました。その大釜には煮えたぎる泥が満ちていました。私たちはそのひとつの大釜に近づきました。最初に見えたのは女性でした。彼女の体が煮えたぎる泥の中で浮いたり沈んだりしていました。主が彼女の方に目を向けられると、彼女は動くのを止めて腰の辺りで停止しました。「女よ、あなたの名前は?」と主は問いかけられると、「ルビエーラです。」と彼女は答えました。 ルビエーラの髪の毛は煮えたぎる泥にまみれており、肉が骨から垂れ下がっており、火で黒く焦げ付いていました。うじが眼の穴から入って口から出て、再び鼻の穴から入って耳から出ていました。入れない時には、うじは新たに体の別の箇所に穴を掘るだけでした。それが言い表すことが出来ないほどの痛みを引き起こしました。 彼女は叫びました。「主よ、お願いです!私をここから出してください!私を憐れんでください!もうこれ以上耐えることが出来ません!止めてください!もう、我慢できません!どうか、私を憐れんでください!」 主は彼女になぜそこにいるのか、と尋ねられると、彼女は虚栄心のためにそこにいます、と答えました。同じ言葉が彼女の胸の金属板に書いてありました。ルビエーラの手に極く普通のボトルがありました。しかし、彼女にとってそれは高価な香水でした。それを吹き掛けると肉が溶けてひどい痛みを引き起こしました。 彼女は主に向かって叫びました。「主よ、お願いです。私を憐れんでください!これ以上ここにいられません!一瞬の間でもかまいませんから、お願いします!」 香水を使うのが罪だと言うのではありません。しかし、主はその女性が香水のせいで地獄にいると言われました。それは主の言葉が申命記5章7節で言っている通りです。「あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。」 彼女がそこにいたのは、自分の美貌や香水や虚栄心が彼女の人生で第一の地位を占めていたからです。しかし、私たちの主イエスは王の王であり主の主であられます!主があなたの人生で最も大切な存在でなければなりません。だからルビエーラはそこにいたのです。悲しい表情で主は彼女をご覧になり、言われました。「ルビエーラ、もう手遅れだよ。あなたの下にはうじが敷かれ、虫けらがあなたのおおいとなる。」 主がそう言われると、火の毛布が彼女を覆い尽くしました。彼女の体が大釜の中で焼き尽くされる間、彼女は激しい痛みに苦しんでいました。 その後、私たちはその場所から遠く離れてから数々の巨大なドアのある所に着きました。私たちがドアに近づくと、それが私たちのために開きました。向こう側には大きな洞窟がありました。上の方を見ると、煙の雲のように動くカラフルな光が見えました。すると、急に音楽が聞こえてきました。サルサ、バラード、ロックなど人々がラジオで聴くあらゆるジャンルのポピュラー・ミュージックでした。主が手を動かされると、全体が明るくなって、手を鎖で繋がれたたくさんの人びとが炎の上を荒々しく跳びはねていました。 主は私たちを見つめながらこう言われました。「ご覧、これがダンサーたちの報酬です。」 彼らは音楽のリズムに合わせてワイルドに踊らなければなりませんでした。サルサの音楽が流れると、彼らはサルサのリズムで踊りました。他の音楽の時には、そのリズムに合わせてジャンプしなければなりません。彼らは一瞬でも休むことを許されませんでした。さらに悪いことに、彼らの靴の中には15センチもある釘が入っていました。踊るたびに彼らの足にその釘が突き刺さりました。誰かが休もうとすると、悪鬼たちがその人を呪って槍で刺しながら言いました。「サタンを賛美しろ!ここはお前の居場所だぜ。サタンを賛美しろ!彼を賛美しろ!サタンを賛美するのを止めてはならん!彼を賛美しろ!彼を賛美しなければならぬ!跳べよ、踊れよ!1秒でも休んではならん!」 恐ろしいことに、この人々の多くが主を知っているクリスチャンでした。彼らが死んだ時、ナイトクラブにいました。多分、あなたは「踊ることがいけないなどと聖書のどこに書いてありますか?」という疑問を持つかも知れません。ヤコブ4章4節で神の御言葉はこう言っています。 「貞操のない人たち。世を愛することは神に敵することであることがわからないのですか。世の友となりたいと思ったら、その人は自分を神の敵としているのです。」そのほかに、ヨハネ第1の手紙2章15-17節には:「世をも、世にあるものをも、愛してはなりません。もしだれでも世を愛しているなら、その人のうちに御父を愛する愛はありません。すべての世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などは、御父から出たものではなく、この世から出たものだからです。世と世の欲は滅び去ります。しかし、神のみこころを行なう者は、いつまでも永らえます。」 覚えていて下さい。世は過ぎ去ります。そのすべては滅びます。しかし、神の御心を行う人は永らえます。 私の友人たちと兄弟たち、私たちがその場所を離れると、橋(複数)のようなものがあって、それらが地獄を拷問の方法によって区分けしていました。歩道橋を歩いている霊が見えました。その霊は地上で「トレジャー・トロールズ」という人形にそっくりでした。彼らは異なる髪の色をしており、老人の顔をし、子供の体を持ち、性器がありません。彼らは邪悪溢れる目つきをしていました。主が説明して下さいましたが、彼らは欠乏の霊たちでした。その霊たちは槍を手に持ち、どこかの女王か国際モデルのように歩道橋を威張った歩き方をしながら渡っていました。 彼は歩きながら歩道橋の下にいる人たちを槍で突き刺していました。そして、呪って言いました。「おまえがキリスト教会の前に立って、中に入りたくなかった時のことを覚えているか? おまえに福音が語られたとき、お前は聞きたくなかった日のことを覚えているか?福音のチラシをもらっても捨てた日のことを覚えているか?」 失われた魂たちは、耳のあった所を手で塞ごうとしました。彼らは悪鬼たちに言いました。「うるさい!うるさい!もう言うな!もう、それ以上知りたくない!」 しかしながら、霊たちはそうすることを喜んでいました。それをやると魂たちの苦痛が更にひどくなるからでした。 私たちは主と一緒に歩き続けました。焼かれている人々の中に他の誰よりも大きな声で叫んでいる男性が目につきました。「父よ、父よ!私を憐れんでください!」 主は彼の顔を見る気がなかったようですが、「父よ」という言葉を聞かれたとき、振り向かれました。主は彼を見つめてこう話しかけられました。:「父?私を父と呼ぶのか? いや、私はお前の父ではないし、お前も私の子ではない。私の子だったら、お前は私と一緒に天の王国にいるはずだ。お前は悪魔の子だ。」 その男性はすぐに大きな炎に包まれました。 主は私たちにその男性の人生について語られました。彼は主を知っていたので、主を父と呼んでいたのです。彼は教会に通い、神の御言葉を聞き、神様からたくさんの約束ももらっていました。それで「何があったのですか? 何故彼はここにいるのですか?」と、私たちは主に尋ねました。主は次のように答えられました。「彼は二心を持っていました。家では一つの道を、教会では別の道を歩いていました。彼は自分の心の中でこう考えました。『まあ、自分の近所に住む牧師先生や兄弟はいないから何でも好きにやればいい。』 しかし、彼は主の目が全ての人の歩む道を見ており、主に嘘をつくこと、何かを隠すことはできないことを忘れていたのです。」 主の御言葉は私たちに言います。:「思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。」(ガラテヤ書6章7節)その男性は他の誰よりも千倍も苦しんでいました。彼は二重の刑罰を受けていました。一つは自分の罪のためともう一つは主を騙そうとした罪のためです。 今日、人々は罪の重さのランク付けをしようとしています。同性愛や強盗や殺人は、嘘をつくことや悪口を言うことより重い罪だと思っています。しかし、主の目の前では、これらの罪はすべて同じ重さと同じ報いがあります。「罪から来る報酬は死であり」、「罪を犯した者は、その者が死ぬ」と聖書に書いてあります(ローマ書6章23、エゼキエル書18章20節)。 兄弟姉妹、友人の皆さん、イエス様の招きを受け入れて下さい。イエス様は今、あなたが悔い改めるようにと、御手を差し伸べておられます。主の御言葉は私たちに語っています。自分の生き方を変え、罪を悔い改める人を主は憐れんで下さいます。後で後悔して苦しむより、今、信じたほうが良いのです。神様の幸福が訪れますように。
--- (5番目の証し) --- ローマ書6章23節に書いてある神の御言葉より:「罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」
私たちがその場所に到着した時、私は死ぬ経験の辛さを感じました。私がそこで見たものは実に恐ろしいものでした。そこに無数の、正に無数の人々がいることは激しい叫び声と泣き声からわかりました。真っ暗な場所でしたが、主の存在によって暗闇が解消されました。すると、泣き叫んで助けと憐れみを懇願している何千、何万という人々の姿が見えました。彼らは主にその場所から助け出して貰いたくて叫び求めていました。彼らを見るたびに激しく苦しまれる主イエスの表情を見ると私たちも大きな苦しみを感じました。 多くの人は、1分でも1秒でもよいからそこから出して欲しいと泣き叫んでいました。すると、主が「何故ここから出たいのか?」と問いかけられると、「救われたいからです!自分の罪を悔い改めて救われたいです!」と彼らは答えました。しかし、彼らは既に遅過ぎました。 今、私の証しを聞いて下さっている皆さん。「今」こそ、あなたがご自分の永遠の居場所を決めるチャンスです。あなたには二つの選択肢があります。救いの道か、裁きの道です。 私たちは更に下って行きました。私たちが歩いている床が火によって破壊されていることに気がつきました。そこから泥と炎が出ていました。またどこへ行っても強い悪臭がしました。そこにいる人々の叫び声と悪臭で私たちは吐き気がしました。 遠い所に、燃える泥に腰の位置まで埋まった男性の姿が見えました。どんなに手や腕を使っても肉が骨からずり落ちました。彼の骨格の中に灰色の煙がありました。あれは何ですかと主に尋ねました。同じような煙は地獄にいる人たちみんなにありました。あれは罪の体に閉じ込められた彼らの魂だと主は言われました。黙示録14章11節と同じようなものでした。「彼らの苦しみの煙は、永遠にまでも立ち上る。獣とその像とを拝む者、まただれでも獣の名の刻印を受ける者は、昼も夜も休みを得られない。」 私たちが地上で無視していたことが分かってきました。その中で、最も大切なまたはっきりしたメッセージとは次のことです。 即ち、地上における私たちの人生が、私たちの永遠の過ごし場所を決定するということです。 私たちが主と手を取りあって歩き続けるうちに、地獄は拷問の程度によって分かれていることが分かりました。拷問を受ける魂を閉じ込めておく独房のたくさんある場所に着きました。彼らはあらゆる種類の悪鬼たちに拷問されていました。「この憎たらしい惨めな者!サタンを賛美せよ!地上にいた時と同じようにサタンに仕えよ!」魂たちはウジ虫にひどく苦しめられていました。そして、多くの炎が酸のように彼らの体を苦しめました。 ひとつの独房に二人の男性がいて、短剣で互いに突き刺し合っていました。彼らは相手にひどいことばかり言っていました。「ろくでなし野郎!お前のせいで俺たちはここにいるんだ!お前が俺に真理を隠したことで、俺は主イエスに出会えなかった!お前のせいで俺は主を知りえなかった!何度も機会はあったのに!しかし、お前は俺に主のことを知らせなかった!どうするんだ!だから俺は昼も夜もこんな所で苦しんでいるのだ!」 ビジョンによって、主は地上での二人の人生を見せて下さいました。二人は居酒屋にいました。すると、何か意見の衝突で彼らはケンカをし始めました。二人は酔っていて、一人は壊れたビンを取り、もう一人はナイフを出しました。互いに致命傷になるまで二人はケンカを続けました。そして、二人とも死にました。この場面を彼らは地獄で永遠に繰り返すのです。しかも、彼らには昔は最良の友であったという記憶があり、それが彼らを更に苦しめました。 今日、皆さんに申し上げます。真の友は一人しかいません。その名はナザレのイエスです。主が真の友です。主はいつでもあなたと一緒にいて下さるたった一人の誠実な友です。 もうひとつの独房の中に、泥に転がっている女性がいました。彼女は泥だらけで髪の毛は乱れていました。その独房の中には、大きな太い蛇もいました。蛇は女性の体に絡み付き、下半身から始めて体中を駆け抜けました。彼女は蛇と性交するのを強制されていました。姦淫を犯した男性や女性はその場所で自分の罪を繰り返さなければならないのです。しかし、人間が相手ではなく15センチの釘を持つ蛇が相手です。蛇が入るたびに、蛇の釘が彼女の体の中を破壊しました。「どうか蛇を止めてください!もう嫌です!お願いです、止めさせてください!」と激痛に耐えられずに彼女は大きな泣き声で主に懇願しました。 私たちがいくら手で耳を塞いでも、まだ彼女の泣き声が聞こえてきました。更に強く耳を塞いでも無駄でした。私たちは主に言いました。「主よ。もう彼女の苦しい姿は見たくないし、もうこれ以上聞きたくないです!お願いします!」 すると、主は言われました。「あなた方はこれを見なければなりません。私の民は崩壊しています。私の民は本当の救いの道を無視しています。だから、あなた方は地上のみんなに、ここで見たものを伝えなければなりません。」 私たちは歩き続けて、巨大な炎の池を見ました。その中に無数の人がいました。彼らは助けを求めて手を振っていました。しかし、彼らの頭上にはたくさんの悪鬼たちが飛び回っていて、その悪鬼たちがS字形の矛先で池の中に燃えている人たちを痛めつけていました。しかも、その悪鬼たちは彼らを嘲っていました。:「ろくでなし!てめえ、サタンを褒めたたえろ!地上にいた頃と同じようにサタンを褒めたたえろ!」正に数千人の人々がそこにいました。あまりにも恐ろしい光景でした。そため、私たちはずっと主の手を握り締めていました。その場所で置き去りにされるのが本当に恐かったからです。そこで感じたものに、私たちはすごく怯えていました。 遠くに苦痛に喘(あえ)ぎながら立っている男性の姿が見えました。二つの悪鬼どもが男性の上を飛びながら槍で突き刺しては男性の肋骨を引き抜いていました。悪鬼たちはずっと彼をいじめていました。更にその上、彼は地上にいる家族について思い悩み苦しんでいることを主は示して下さいました。自分の家族にはその場所に来て欲しくなかったのです。彼は家族に救いのメッセージを伝えなかったことを激しく後悔していました。家族には救いのメッセージを受ける機会があったことを思い出して苦しんでいました。彼は家族に救いのメッセージを伝える非常に重要な人物でした。しかし、彼はそれを無視する方を選んだのでした。その結果、彼は妻と子供たちのことで悩み続けているたです。 悪鬼たちの拷問は続き、男性の両腕は切断され、彼は燃える泥の中に沈んでしまいました。燃える炎にいるのがあまりにも辛かったため、彼はうじのように身悶えしていました。高温のせいで彼の肉が骨から落ちました。そこで、彼は泥から出ようと這いずり始めました。しかし、そうする度に悪鬼たちは彼を押し戻しましたので、彼は深く泥の中に沈み込んで行きました。 それから、私たちは一ヶ所にたくさんの悪鬼たちがいるのを見ました。ひとつの翼を失った悪鬼が私の目にとまりました。私は主に尋ねました。「主よ。何故この悪鬼はひとつの翼しか持っていないのですか?」すると、主はこう答えられました。:「ある目的を果たすために、彼は地上に行ったのです。しかし、神の一人のしもべが彼を地獄に投げ込んだのです。だから、罰としてサタンは彼のひとつの翼を切り取ったのです。」すなわち、クリスチャンの我々にはイエスの御名によって、悪鬼たちや暗闇の支配者を追い出す権威と力を持っていることが理解できました。 この証しを聞いてくださっている友人の皆さん、この証しは裁きのためではなく神の御救いのためです。これからは、主の御前でのご自分の状態を調べてみて下さい。それは罪定めのためではなく、救いのため、あなたの歩まれる道がチェンジできるためです。今、あなたの心を主イエスに向かって開き、ご自分の罪を告白して下さい。それは、この瞬間に主が来られても、あなたが叫びと歯ぎしりをして苦しむ所ではなく、神と共にいることが出来るためです。そうすれば、あなたはイエス様がカルヴァリの十字架で実に高い代価を払って下さった訳が本当に理解できるでしょう。 地獄にいる人々の多くは、自分がなぜそこにいるのか分かっていません。彼らの人生はあまりにも多忙であっため、自分の罪について考えることをしませんでした。友人の皆さん、ご自分を調べて下さい!嘘をつくことや窃盗や虚栄心が強いことなどはやってもかまわないことだと思わないで下さい!神様の御前ではこれは罪です!大切な兄弟たち、自分の罪を悔い改め、このようなことをするのを止めてください!あなたが罪を犯さないように、そして主の御顔を見ることができるように、私はこのメッセージを送ります。
--- (6番目の証し) --- 詩篇62章12節「主よ。恵みも、あなたのものです。あなたは、そのしわざに応じて、人に報いられます。」 あの朝、主はあの部屋にいる私たちを訪れて下り、私たちの手を取って、私たちは地獄へと下って行きました。私はとても説明できない恐怖感を覚えました。絶対に主の手を離してはいけないことは分かっていました。イエス様は私の命であり、私の光であり、私の望みが彼の中にあることを実感しました。そうでなければ、私は地獄に見捨てられていたでしょう。私が地獄に行くとは全く考えたことはありませんでした。しかも、そんな場所が存在することさえ信じていませんでした。私はクリスチャンでしたが、煉獄が地獄のことだと考えていました。しかし、神様は私に地獄の現実を見せて下さいました。 私たちが地獄に着いたとき、その場所が揺れたのを感じました。悪鬼たちはみな走って隠れました。主の存在に耐えられないからでした。ナザレのイエスがそこにおられるのを知って、地獄の捕われ人たちは更に大きな声で叫ぶようになりました。彼らを自由にすることが出来るのは主のみだと皆わかっていたからです。しかし、それは空しい希望でした。 私たちはイエス様と手を繋いで歩きました。そして、不品行な人々の所に着きました。イエス様は全身を完全に火で覆われた女性に目を止められました。イエス様が彼女をご覧になると、彼女はゆっくりと火から現れてきましたが、苦しみが止むことはありませんでした。その女性は全裸であったため、体の特徴がよく見えました。彼女の体は汚れきっていて悪臭を放っていました。乱れた髪の毛には黄緑色をした泥がのっていました。眼球はなく、唇はぽろぽろと落ちていました。耳はなく、ただ穴が開いていました。彼女は黒く焦げた手で顔から落ちた肉を元に戻そうとしましたが無理でした。そうすることで、痛みがいよいよ酷くなりました。 震えながら彼女は大声で叫びました。その叫び声は絶えることなく続きました。彼女はうじだらけでしたが、腕には蛇が絡んでいました。太くて体中にトゲだらけの蛇でした。彼女の体には666という数字が彫ってありました。それは黙示録が言う「獣の刻印」です。(黙示録13章16-18節)。 また、彼女の胸には火に燃えない金属板が埋め込んでありました。その板には見慣れない言語で何か書いてありましたが、私たちは理解することが出来ました。「私は姦淫者だからここにいる。」と書いてありました。 イエス様は彼女をご覧になって、尋ねられました。「エレナ、なぜあなたはここにいるのかね?」エレナは答えようとしたとき、彼女の体が苦痛で震えました。彼女は拷問の痛みに身をよじりながら、姦淫によってそこにいます、と答えました。エレナは主に向かって何度も何度も赦して下さるようにと懇願し続けました。 その時、彼女が死んだ時の場面が見えて来ました。死んだときのエレナは愛人の一人とセックスをしていました。と言うのは、一緒に住んでいる男は旅に出ていると思ったからです。しかし、男が思ったより早く仕事から帰宅して、ベッドに他の男がいるのを見つけました。彼は台所にあった包丁でエレナの背中を突き刺しました。彼女は死んで地獄に連れて来られました。死んだときと同じように全裸でした。 地獄では、すべてが物質化されて、彼女の背中にはまだ包丁が突き刺さっていました。それは激しい痛みの原因となっていました。当時のエレナはもう7年間も地獄にいましたが、生きていた時と、死んだ時のあらゆる瞬間のことを思い出すことができました。彼女はまた、ある人がイエス様のことを語ったときのことも思い出しました。イエス様が唯一の救い主であることを語りました。しかし、エレナも含めて地獄にいる全員にとり、今は既に手遅れなのです。 主の御言葉は何度も姦淫の罪についてはっきりと説明しています。姦淫とは結婚相手ではない人と性的な交わりを持つことです。第1コリント6章13節「食物は腹のためにあり、腹は食物のためにあります。ところが神は、そのどちらをも滅ぼされます。身体は不品行(姦淫)のためにあるのではなく、主のためであり、主はからだのためです。」第1コリント6章18節「不品行(姦淫)を避けなさい。人が犯す罪はすべて、からだの外のものです。しかし、不品行を行なう者は、自分のからだに対して罪を犯すのです。」 イエス様が彼女との会話を終えられると、エレナは大きな炎の毛布に包まれて、その姿は見えなくなりました。でも、彼女の肉が焼ける音と苦しい叫び声が聞こえて来ました。それはとても言葉では説明できない場面でした。 私たちが主と一緒に歩き続けていると、主はそこにいるすべての人たちを示されました。 偶像礼拝をする者、魔術をおこなう者、不道徳な者、姦淫する者、嘘つき、同性愛者でした。私たちはあまりにも恐ろしくて、早くそこを離れたいと思いました。しかし、イエス様は語り続けられました。それは私たちが他の人たちに伝えて、彼らが信じるために必要なことだったのです。 私たちはイエス様と一緒に歩き続けましたが、更に力強く彼の手を握っていました。私にとって本当に印象的な所に着きました。そこには23歳の若者が腰から上が火の中に吊るされていました。彼の拷問がどのようなものかはっきり分かりませんでしたが、身体に666という数字が彫ってあるのが見えました。胸の金属板には「私は普通の人だからここにいる。」と書いてありました。イエス様を見かけると、彼は憐れみを求めてイエス様に手を伸ばしました。箴言14章12節に書いてある神の御言葉はこう言います。「人の目にはまっすぐに見える道がある。その道の終わりは死の道である。」 「私は普通の人だからここにいる。」と書いてある金属板を目にしたとき、私たちは主に尋ねました。「主よ、これはどういうことなのですか?こんな理由で人はここに来ることがあり得るのですか?」 イエス様は若者に言われました。:「アンドレ、君は何故ここにいるのかね?」 アンドレは次のように答えました。「イエス様、僕が地上にいたとき、殺人と窃盗だけが罪だと思っていました。だから、僕はあなたに近づこうとしませんでした。」詩篇9章17節より、「悪者どもは、陰府(よみ)に帰って行く。神を忘れたあらゆる国々も。」 アンドレは、現在の多くの人々がするのと同じように罪を区別するという大間違いをしたのです。罪の支払う報酬は死である、そして、神の贈り物は永遠の命であると聖書ははっきりと言っています(ローマ6章23節)。さらに、どんな罪でも同じ罪ですから聖書は罪の区別はしないのです。アンドレは、イエス様を受け入れる機会を逃したのでした。多分、彼には主を知る無数の機会があった筈なのに、全く神の御言葉に耳を向ける気がなかったのです。その結果、彼はここにいるのです。その時、大きな炎の毛布がアンドレを巻き込んで、再び見ることはありませんでした。 私たちはイエス様と一緒に歩き続けました。遠くに粗大ごみのようなものが落ちるのが見えました。近づいてみると、それは、今、地獄に墜ちる人たちだとわかりました。心に主イエス様を受け入れずに死んだ人たちが、今、地獄に到着するところだったのです。 数多くの悪鬼たちが寄ってたかって若い男性の体を破壊しているのが見えました。みるみる彼の体はうじだらけになりました。「いやだ!何だこれは?止めろ!俺はここにいたくない!これは夢だ!誰か俺をここから出してくれ!」と彼は大声で叫びました。自分がイエス様なしで死んだことが彼には分かっていなかったのです。悪鬼たちは彼をいじめて面白がっていました。すると、彼の額には666の数字が、胸には金属板が表れました。彼が地獄に来た理由は私たちには分からなくても、彼が永遠にそこにいるのは間違いないことです。 地獄にいる人たちの苦痛は、裁きの日にはさらに激しくなると主は言われました。こんなに酷く苦しんでいるなら、裁きの日に彼らはどれほど苦しむか想像ができません。 そこに子供たちを見ることはありませんでした。あらゆる国の若者、男性、女性が無数にいました。地獄には国籍や社会的地位はありません。みな拷問され罰せられるために地獄にやって来るのです。彼らは皆、ただひとつの願いを持っていました。それは一瞬の間だけでも地獄から出ることでした。彼らは聖書の金持ちと同じように、舌を冷やすために水の一滴を欲しがっていました。(ルカ16章19節)。 しかし、それは最早や不可能なことでした。彼ら自らが永遠に過ごす場所を選んだからです。彼らが神のない場所で過ごすことを決定したのです。神様は誰もかれも地獄に送られるわけではありません。人々が自分の行為の結果として、地獄に行くのです。ガラテヤ6章7節より、「思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。」 今、あなたは、ご自分の永遠の運命をチェンジするチャンスを持っておられます。今、イエス様を受け入れることが可能です。それに、聖書によると、命ある限り希望があります。今のあなたには、命がありますから、この機会を逃さないでください。これが最後の機会かも知れません。 神の祝福が訪れますように。 |